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よがらし日々迷走記

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ケン・ソゴルの恋


 きのうの仲里依紗版『時かけ』のつづき。

 とーこちゃんが「ものぐさ日記」でおもしろい指摘をしていた。74年の芳山和子(石橋杏奈)が、初代『タイムトラベラー』の島田淳子さんに似ているというのだ。

 なるほどねえ。 島田淳子さんは『新トラベラー』から「浅野真弓」という芸名に変わって、『ウルトラマン80』くらいまで活躍されていた。つか、その後も活躍されているのかもしれないけど、私が把握しているのはそこまで。

 で、80のころのシャープなイメージがあるので気づかなかったが、いわれてみれば、たしかに石橋杏奈さんは当時の島田淳子さんの面影がある。

 そうすると、里依紗版は原作と知世版だけでなく、NHK版『タイムトラベラー』までまきこんだ、かなりトリッキーな映像なのかもしれない。いや、そうにちがいない。

 というのは、今回の脚本には、基本設定として、かなりおもしろいしかけがしてあるのだ。

 この話は内容と深く関わってくるんで、以下そのつもりでどうぞ。できれば、作品を見たあとに読んでいただきたいと思います。

 なので、あんまり意味ないけど、折り返しておきますかね。
 
 

 おもしろいしかけというのは、たとえば……

1.芳山和子はなぜタイムリープ薬をつくれたのか?

2.和子には、なぜあかりに伝言を託すほど鮮明な「記憶」がのこっていたのか?

3.新聞の3行広告が、なぜ2698年時点ではじめて確認されたのか?

4.そもそも、キャッチコピー「あなたに会いにいく」でいう「あなた」とはだれか?

 というような、ストーリーの核心部分。これらはともすると矛盾に見えるわけですが、実際は時間パラドックスを巧妙に使った、脚本上のトリックなのですよ、たぶん。SF者の目で見ると。

 SF設定的に考えれば、答えはたぶんひとつ。すべては「ケン・ソゴルの恋」からはじまっているのです。きっと。

 1からいくと、芳山和子がいくら薬学を研究しても、「タイムリープ薬を開発する」という動機づけがないわけです。とにかく、記憶がないんだから。それに、2010年の科学的知見では、薬を開発する能力もないし。

 にもかかわらず、和子先生(笑 そう呼ばれている友達がいるもんで)は独力で、しかも片手間に薬を完成させちゃった。なぜか?

 常識的に考えると(あくまでSFの常識ね)、ソゴルが処方をふくめた情報を、和子の識閾下に埋めこんでいたんでしょう。おそらく、72年に表面的な記憶を消したときに。

 そう考えれば、2も理由は明らかで、「記憶は消えても、心がおぼえている」という表現は、識閾下に情報を埋めこんであったという意味と考えていいはず。

 それが、母の事故で動転した芳山ひかりを動かす、換言すると物語をスタートさせる原動力になったわけです。

 ただし、深町家で見つかった「消し忘れ」の写真が、2の情報を呼び起こす引き金になったのかどうかは、定かじゃありません。というより、ケン・ソゴルの計画はそこまで緻密じゃなかったほうに1票かな。

 要するに、ソゴルは和子の深層意識に情報を埋めこむことで、72年に記憶を消す直前、ふたりが交わした約束をはたそうとしたのですよ。

 理由、ケン・ソゴルにとっても、和子が初恋の相手だったから。もっというと、感情より論理で行動する27世紀人として、はじめて心を動かされた相手が、和子だったから。

 この行為は厳密にいうと痛い。時間パラドックスを誘発させる原因になっちゃうから。でも、このあたりはたとえば、和子もタイムトラベラーになった以上、ある意味で「時間の外に立つ」存在になったとかなんとか、いくらでも理由はこじつけられるでしょう。 たんに若気のいたりでもいいし。

 つか、ケン・ソゴルの研究グループが、事実上史上初のタイムトラベル機関になったらしいから、この人たちがルールをつくるわけでね。

 とにかく、時間パラドックスの危険より、おのれの「心の動き」を優先させたのです。ケン・ソゴルは。

 で、未来にもどったソゴルは、ひたすら和子からの「サイン」を待っていたんでしょう。もしかすると、27世紀には恋愛っていう感情自体が存在しなくなってて、だから和子が唯一の恋人だったのかもしれないし。

 まあ、このへんの妄想はいくらでもふくらますことができるでしょうが。

 一方、 3の3行広告は、あかりがタイムリープしたことで、はじめて生じるイベントだから、和子とあかりの時間ライン上で、ソゴルが27世紀にもどってから27年後に「発生する」のは、たぶん自然。ソゴルの機関も、そこを監視していれば、イベント発生は容易に発見できるんでしょう。

 ただ、その前段階として、あかりのリープ自体が大きなイベントなのに、そのを見逃しているわけで、監視体制はそれほどととのっていないのかも。まあ、些細な問題ですが。

 ということで、すべてはソゴルが和子と再会するという約束をはたすための「しかけ」だった……

 だとすると、4の「あなた」の意味が、がらっと変わってくるでしょう?

「あかりが深町一夫に会いにいく」、あるいは「あかりが涼太に会いにいく」というほかに、「ケン・ソゴルが芳山和子に会いにいく」という意味がくわわってくるはずなんですよ。
 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

 芳山和子とぴったりあわせたように、年をかさねたケン・ソゴルを見たとたん、そーいう妄想がわきおこって、これは「ケン・ソゴルの恋の物語」なんだなあと気づいたわけです。 で、むしろそっちに感動しちゃったんですね。あたしゃ。

 もちろん、あかりと涼太の物語がメインなのはまちがいないけど。

 これがきのう、原作の正統的な続編と書いた理由でした。

 ただ、そのソゴルでも、「時の外に立つ」存在じゃない涼太だけは、救うことができなかったので、これはしかたないよね。死ぬべき人間が死ななかったことになると、この時間パラドックスは大きすぎるから。

 極端にいうと、あかりが生まれなかった可能性もあるし。

 それでも、あかりの意識の奥底に、涼太との思い出をのこしたのは、ソゴルにできるせいいっぱいの愛情表現だったんでしょう。あのとき、ソゴルはひかりが自分の娘でもあると思ったにちがいないのね。

 そこがまた泣けてねえ。

 以上はそーいうわけで、見る側の勝手な妄想で、制作サイドがどう考えていたかはわかりません。ただ、こういう矛盾に見える部分を解釈でつぶしていくと、だいたい似たような結論になるんじゃないかと思います。

 ほかのSF者のみなさんの感想も、ぜひ知りたいところです。ただし、ネガティヴな感想は不可ね。夢を壊されたくないんで。はい。
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