野田昌宏大元帥が亡くなったのをきっかけに、大元帥→ エドモンド・ハミルトン→ フェッセンデンという流れで、すごく久しぶりに古典SFを読んどります。

『フェッセンデンの宇宙』中村融編訳、河出書房新社1900円

『反対進化』中村融編、東京創元社920円
どっちも短編集で、古典こてんの古典。ハミルトンはスペオペといわれてるけど、ぢつは短編は「最新科学小説」的な趣が強かったりする。ただまあ、その「科学」はいまから見るとトンデモ系だったりするわけだけど。
いや、違うな。戦前に書かれたスペオペも、じつは最新科学(理論)がかなり色濃く反映されてたりするわけです。ただ、その認識あるいは知見が古いため、疑似科学というか、嘘科学みたいに見えるだけで。
いま、それを読むと、ある意味でロストフューチャーだったりするのが、またおもしろいのですが。
というような解説は、きっと書評や書誌の専門家の人がいっぱい書いていると思うんで、感想だけ。
う〜んと。ね。こーいう話でしたっけ?(´・ω・`)
もちろん、表題2作をはじめ、半分以上が既読なわけで、そのアイデア部分はおぼえてるわけですが、ストーリーがね。
たとえば、「フェッセンデン」。いってみれば1幕1場ものなんだけど、記憶では、もっと展開があったような。(^^;
「反対進化」も、アクションというか、どんぱちがあったとばかり思ってたんだけど、完全に説明だけなのね。そうか〜。
このへんは中高生のころ読んだわけで、記憶はすでに35年のかなたにあるから、勝手な思いこみでずいぶん歪曲してるわけです。はっきりいって、いいほうに脚色しているというか。
あと、現代小説にくらべると、読みにくいのはたしかで、このへん、誤訳といわれてもいいから、『赤と黒』みたいに、読みやすさ優先にしちゃったほうがいいような気がします。はい。私は編集者として、そっち派だから。
ただ、それらをさしひいても、読み進んじゃう、根源的なおもしろさがありますのよ。このハミルトンの短編集には。
いや、たぶん、若いころ沈みこんだ、あの1930〜50年代SFには、どれもそういう根源的な力があるんだと思いますな。なぞの力線みたいな力が。
いまは2冊を同時進行で拾い読みしてて、「アンタレスの星のもとに」が半分くらいまでいったところですが、この作品をふくめて、どれも味わって読みたい作品ばかりでありました。
でもって、次はハミルトンとならんで、私の海外SFのもう一方の原点、アルフレッド・エルトン・ヴァン=ヴォクトの短編集でも読んでみたいぞっと。
そうなんですよ。わしのSFの原点って、クラークとかハインラインじゃなくて、ハミルトンやヴォクトなのですよ。で、この時期、あらためてこーいう原点に回帰するのは、たぶんとっても重要にちがいないと思ってるわけです。
